グリコ・森永事件を知っていますか?
最近読んだ興味深い本を皆さんに紹介したいと思った。「未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言(新潮文庫)NHKスペシャル取材班」である。「キツネ目の男」という言葉と写真は、当時強烈なインパクトがあった。
と、ここまで書いたところで、もしやこの話はこの文章を読んでいただいている皆さんに、ピンとこない話題かもしれないと思い始めた。昭和59年の未解決刑事事件である。
あわてて、一回りも違わない職員に問いただしたところ「なんとなくしか、わからない」という。愕然とした。また年をとったということを強く意識させられた。2.0の視力を誇っていたのに、新聞の文字が読めない。下手すると、食事の時に何を食べているのか判然としない事もある。こうなると食の楽しみが半減してしまう。老眼になったことといい、このところ一段と身体の衰えを感じる。あぁ、そんなことはさておき、それは次のような事件だった。
グリコ・森永事件(グリコ・もりながじけん)とは、1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に、阪神を舞台として食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件。警察庁広域重要指定114号事件。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ぶ。2000年(平成12年)2月13日に愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、全ての事件の公訴時効が成立し、警察庁広域重要指定事件では初の未解決事件となった。(ウィキペディアより)
グリコや森永製菓の、子供の食べるお菓子に青酸カリを仕込んで、それをスーパーの棚に並べるぞなどと企業を脅迫したのである。脅迫文を企業やマスコミに送りつけたり、「かい人21面相」と名乗ったりしたことから世間の注目を浴びた。しかも、お金の受け渡し時に捜査員に目撃されたり、たくさんの物証を残したことから、早期解決するであろうといわれたが、結果的に、時効で未解決になっている。読みすすむにつれ、私にとっては全く知らなかった数々の事実に驚かされた。
今回、この本では、事件の経過の詳細に加え、「どうしてこの事件が未解決になったのか?」ということが丹念に書かれている。そして、後段では、この未解決事件から学ぶべきものは何かということについても、紙面を割いている。
ざっくりまとめると、学ぶべきものが何かを探るため、あるいは将来に生かすためには、「総括」(=全体を見渡して、まとめをすること)が必要だったという結論である。
確かに、うまくいかなかったことなど振り返りたくはないものである。実際、この本もたくさんの捜査員に証言を取っているのが、彼らの口は一様に重く、「いまさら、何をほじくりかえしているのか」と証言を拒否する人もいたそうだ。
何が問題で、次回にこうすればよいということは、「言うは易く行うは難し」である。
新企画を立ち上げるにあたって
さて、少し回りくどい話になってしまったが、ここからが、この文章を書こうと思った核心の部分になる。
棕櫚亭31年の歴史の始まりは、共同作業所だった。残念ながらこの共同作業所は、今この組織には存在しない。障害者自立支援法という法律ができ、そこに飲み込まれたような感覚がある。あっという間の出来事であったため、自分達の作業所活動について、酸いも甘いも、きちんと振返りができず、不全感があった。その感覚は、福祉サービスがよりサービス化される中で(変な日本語ですね)より強くなっていた。
「サービス」という言葉を辞書で紐解くと、「職務としての役務の提供」とある。確かにその通りなのだが、「福祉+サービス=福祉サービス」と考えるならば、その語感に対して私などは未だに違和感がぬぐえない。感覚の問題かもしれないが。
そんな話を、周囲の職員に漏らしたところ意外や意外あっさりと同意を得られた。「みんなそう思っていたなら言ってくださいよ!」という気持ちと、だとしたら、その思いを深め、何らかの形にしたいと思った。
グリコ・森永事件ではないが「昭和は遠くなりにけり」とは、よく言ったものだ。悲喜こもごも、来年は平成も終わりを迎える。そういう意味では、先送りにしない事が大切なのだと思った。
とどのつまりは、棕櫚亭ホームページの新企画のPRです。
取り扱う内容やテーマについては、上の文章がヒントになっています。企画した当人が言うのも変ですが、すごく面白くなる予感があります。予感というのは、まだ手をつけていない部分が大半だという言い訳でもあります。
ということで、今週末の8月17日(金)に新企画が始まります。詳細は当日をお楽しみに!
多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会