知と行動
社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
ピアスタッフ 櫻井 博
正月休み(1/2)に病院を訪ねてみた
彼には家族はいない。遠い親戚がいるらしいが、もうしばらく会っていないという。なにか手土産でもと思ってスーパーのお寿司を持参した。病院は、世の正月のお祝いムードとはかけ離れて静けさに包まれていた。
病棟に続く廊下の長いことにあらためて気づかされた。受付の警備員の応対も看護師の対応も以前よりずっと感じのいいものだった。前回のチョコレートの差し入れが問題だったようで、面会時はいっさい飲食の持ち込みは禁止されていた。糖尿病の恐れがあるということで、少しのお寿司ぐらいという、願いも看護師さんの「生ものですから」という一言で一蹴され、食べることは叶わなかった。こちらの喜ぶ顔がみたいという思いが無残にも打ち砕かれた。そんな思いだった。主治医からは「当分退院は見通せない。(冗談交じりに)ここでずっと生活もできる」などと長い入院生活を暗示する言葉もでて驚いて帰宅した。なにかがおかしい。「寝る前に20錠以上服薬しているからみたいだ」と当惑している顔が忘れられない。
Eテレで観た番組
翌日偶然テレビのスイッチをいれてこころの時代~宗教・人生~「沈黙は共犯 闘う医師」(Eテレの1月3日1:30~1時間)の番組を観た。
タイトルにある「闘う医師」とはコンゴ民主共和国の婦人科男性医師で、2018年ノーベル平和賞を取ったデニス・ムクウェゲという人物だ。彼はレイプ(武器)がいかに人々を恐れさせ共同体を壊していくかを詳しく語っていた。この武器を使って、国の利益である自然を奪っていく論理を展開し、武器が人々を共同体から去らせ、自然の富を奪って、文明の搾取が行なわれている現実を語っていた。彼は、知恵、知識は「行動してはじめて意味のあるものになる」という理論を展開し、知と行動を起こすことの重要性を熱く語っていた。
「沈黙は共犯」というタイトルは黙っていることは闘うことの正反対にあることを語り、「今こそ行動を」という闘う意思を示す態度のもつ重要性を世間に問うていた。
知らないことを知っているという「無知の知」を提唱したのはギリシアのソクラテスだが、「知って行動する」というほうが私には腑に落ちる。
医療連携と行動
翻って病院の話に戻る。寝る前に23錠服薬しているという彼に退院という道はあるのだろうか。私ができることはなんだろうか。退院は彼の望むものなのか。頭に到来するあれこれには結論がでない。でもこのテレビを見た後では、沈黙はできないそんなことを考えた。
退院という言わば自由への扉を開ける役割といえばおこがましい。
「医師がいて病院があれば安全なのに何故?病院にいれば安心なのに。」
ふと思ったそんな考えを私はすぐに打ち消した。私も10年以上前、病院から退院した時に、地域がこんなに自由で楽しいものとは知らなかった。そんな気持ちをもう一度彼にも味わってほしい。たったそれだけのことである。
確かに病院は病気を治すために自由を制限するところである。でも精神障害の場合、病気が治る線引きが難しいなか、主治医が可能な限り退院を認めることを前提に、地域と医療の連携重要性が問われることだと思う。
このような体験と知識を得て、「地域でできる精一杯の仕事をやりたい、そのために私自身もう一歩踏み出したい」と思った新年だった。
当事者スタッフである私は、今年も「時事伴奏」の中で、不定期にでも思いを発信していきたいと思っています。よろしくお願いします。